大学の山仲間と夜行列車で大山まで出かけた。23日の早朝、列車の中で気象予報を聞くためラジオのスイッチを入れると「ケネディ大統領が暗殺された」と歴史的大事件を中継していた。
23日は大山寺の近くでテントを張り、佐陀川の水が使えるだろう予定していたが、水が流れていなくて売店の水道を借りて夕食を作った。次の日午前3時ごろから登り始め、夏山登山道を登って頂上に上がり、剣ヶ峰、天狗ヶ峰、象の鼻、宝珠山を通って下山した。
山頂から剣が峰方面を望む
頂上から剣ヶ峰のやせ尾根が凍っていてアイゼンの爪が食い込まず引き返そうかと考えた。相談の結果ザイルを使って50mか100mの間コワゴワ歩き、もし誰かが落ちたら反対側に落ちてバランスをとってくれと言い合っていました。
槍ヶ峰、象の鼻の標識
雪の無い時でも「狭い」と思っていたので、あれで風でもあったら引き返していたと思う。下山後テント場で会った同じコースを歩いた友達に話しを聞くとお昼過ぎには、その凍った場所は溶けていて全然怖くなかったと言っていた。
1963年11月24日
1963年10月21〜22日 バスで大台ケ原まで登り、秀が岳を越え大杉谷を下った
桃の木小屋前でテントを張った、当時はまだテントが使えた
大台ヶ原は紅葉は過ぎていたが、下は紅葉が見事だった
1961.5月に次いで2回目の大杉谷下り、つり橋が落ちていて通常とは違うコースを歩いた。
![]() 堂倉滝 |
![]() メンバー |
![]() 隠滝 |
![]() 光滝 |
![]() 光滝から七つ釜滝までの淵 |
![]() 桟道 |
![]() 七つ釜滝落ち口 |
![]() 七つ釜滝 |
![]() 七つ釜滝前の吊り橋 |
![]() 桃の木小屋前岩屋でテントを張った |
![]() 千尋滝 |
鉄鋼短大の山岳部の北海道山登り。急行「日本海」に乗るため早くから並ぶのも、普通列車に座ってゆっくり行くのも時間はそんなに変らないだろうと、大阪から青森まで蒸気機関車が引っ張る普通列車で30時間かけて行った。多分富山ぐらいから前の席に秋田美人の姉妹が座った。「関西では、カレーも塩もからいと言う、それはおかしい。秋田ではカレーは辛い、塩はショッパイだ」と教わった。40年以上経っていいお母さん、おばあさんになっているかな。普通列車は前の席の人が入れ替わり、その度に新しい話が聞けて楽しい。
勇駒別→旭岳→間宮岳→中岳→北鎮岳→黒岳→層雲峡
二枚目が旭岳の頂上ガスに巻かれて視界ゼロ。頂上から確かに間宮岳の方向にトレースを辿ったはずなのにおかしい、下るはずなのに水平にトラバースしている。戻るかこのまま進んで一周して元に戻るか考えているうちに、霧が晴れて周りの景色が見えこのままトラバースすれば元に戻ると分かり安心した。北鎮岳の下でテント泊。プレヒートの必要な石油ストーブなので火がつくまで時間が掛かり、この高さ(2100mぐらい)ではご飯も上手く炊けない、この頃の北海道のお米は不味く野菜も種類が少ない。おかずも現地調達の材料を持って上がった。ここまで仲間の一人が2Lのビール瓶を担ぎ上げて宴会でした。
朝は零度近くまで下がり、炊事に使った雪溶け水がとても冷たかった。
3枚目が黒岳頂上。層雲峡で他のグループと合流一晩だけ一緒に騒いだ。
知床半島の北側、ウトロ側の岩尾別から羅臼岳に登り羅臼町に下りた。朝から小雨だったが、前夜に天気図を作り早いうちに上がると確信して私たちのグループだけが重いリュックを担ぎ半島を横断した。ラジオの天気予報ではなく自分たちでたてた予報が当たるのはうれしいものです、予想通り頂上では晴れ上がっていました。国後が間近に見え外国の領土を見下ろす野は何か不思議な気持ちだった。4枚目の雲の下に薄く見えるのが国後。
改めて当時の地図を見ると結構キツイ斜面をモボっている。
海抜0mから1660.7mまでよく登りました
1963年8月11〜30日
昭和38年5月2〜5日八ヶ岳に登った。車中1泊、ベースキャンプ方式のテント2泊、12名のグループ。朝日に向かって歩いたので美濃戸口の方から登った。こんなボンネットバスに乗ったのでしょうか?地道だし乗り心地は大変だったと思う。
2泊のテントでもこの荷物です。地面に下ろすと一人では立てないので、担いだまま岩の上に座っています。何処にテントを張ったのか記録が無いので分かりませんが、バスを降りてから延々と長い地道を歩いた写真があります。
幾つかの山頂写真があるので硫黄岳から南下したのだと思う、S38年の赤岳山頂石室です。この写真を見るまで赤岳に登った記憶が無く、今でもこの頂上付近の時のことを思い出しません、私のフイルムに残っているので登ったのは確かです。
気軽に登って雪の上を滑りながら下りたのは覚えていますが、いま写真を見ると結構岩場もあって慎重に下りている。昔はテント場で盛大にキャンプファイヤーが出来ました。
1963年5月2〜5日
暑寒別岳(1491m)登山口
積丹半島付根の北側にある山
16日の雨のため、翌日の稚内発の汽車は不通の見通しだったので日本海沿いにバスで行くと連絡しておいた。次の日連絡せずに開通した汽車で留萌駅まで行き、バスの駅に迎えに来てくれた友達と入れ違いになり、随分心配した。夕方ここまでトラックに乗る。
途中で「想岳荘」で仮眠し2時ごろから登り始め、滝見の岩からは利尻が見えた。何十年と登っているリーダーがこんな快晴は初めてという頂上からは北の利尻、東の十勝、南の羊蹄が見渡せ、お花畑の中で昼まで過ごし、夜になってから留萌に帰り、留守部隊に遭難かと心配させました。一番記憶に残る山です
頂上(左から、私、池ちゃん、リーダー)
1962年8月18日