2008年は源氏物語1000年紀です。紫式部、源氏物語にゆかりのあるところを歩きます。
京都府のサイト・大津市サイト「源氏物語千年紀in湖都大津」を参考にしました。
源氏物語五十四帖(国立国会図書館)簡単検索に「源氏物語」と入れ検索すると錦絵が見られます。
第六回目は須磨のコースです。
朧月夜との仲が発覚し、追いつめられた光源氏は後見する東宮に累が及ばないよう、自ら須磨への退去を決意する。左大臣家を始めとする親しい人々や藤壺に暇乞いをし、東宮や女君たちには別れの文を送り、一人残してゆく紫の上には領地や財産をすべて託した。
須磨の侘び住まいで、源氏は都の人々と便りを交わしたり絵を描いたりしつつ、淋しい日々を送る。つれづれの物語に明石の君の噂を聞き、また都から頭中将がはるばる訪ねてきて、一時の再会を喜び合った。やがて三月上巳の日、海辺で祓えを執り行った矢先に恐ろしい嵐が須磨一帯を襲い、源氏一行は皆恐怖におののいた。(Wikipediaより)
第五回目は三重・斎宮歴史博物館へのコースです。
斎宮(さいくう)は、天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおう)」の宮殿が置かれたところです。三重県多気郡明和町にある斎宮跡がその遺跡で、昭和54年(1979)に約137ヘクタールの範囲が国の史跡(しせき)に指定されました。「源氏物語」ともゆかり深い。(斎宮歴史博物館・概要より)
第四回目は明石・源氏物語へのコースです。
須磨は激しい嵐が続き、光源氏は住吉の神に祈ったが、ついには落雷で邸が火事に見舞われた。嵐が収まった明け方、源氏の夢に故桐壺帝が現れ、住吉の神の導きに従い須磨を離れるように告げる。その予言どおり、翌朝明石入道が迎えの舟に乗って現れ、源氏一行は明石へと移った。
入道は源氏を邸に迎えて手厚くもてなし、かねてより都の貴人と娶わせようと考えていた一人娘(明石の御方)を、この機会に源氏に差し出そうとする。当の娘は身分違いすぎると気が進まなかったが、源氏は娘と文のやり取りを交わすうちにその教養の深さや人柄に惹かれ、ついに八月自ら娘のもとを訪れて契りを交わした。一方都では太政大臣(元右大臣)が亡くなり、弘徽殿大后も病に倒れて、自らも夢で桐壺帝に叱責され眼病で気弱になった朱雀帝はついに源氏の召還を決意した。晴れて許された源氏は都へ戻ることになったが、その頃既に明石の御方は源氏の子を身ごもっており、別れを嘆く明石の御方に源氏はいつか必ず都へ迎えることを約束するのだった。(Wikipediaより)
第三回目は京都文化博物館の「源氏物語千年紀展」~恋、千年の時空を超えて~
展示物は写せなかったので別館の旧日本銀行京都支店(重要文化財)の外観と室内です
第二回目は細見美術館の「源氏絵と雅の系譜」です。扇面画、屏風、色紙帖などがありました。場所は平安神宮の西側です。
乾漆器店で蒔絵体験もしました。
歩き始めはなんと言っても紫式部が「源氏物語」のストーリーを考えた石山寺です。
大阪駅10:30発、新快速近江塩津行に乗車。石山駅下車11:12京阪電車に乗換え石山寺駅まで2両の車両が貸切り状態でした。